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二十四年前、私は朝日新聞に戦いを挑んだことがあります。

当時、朝日は私が校長を務めるJET日本語学校が上海で学生の水増し募集をしていたとか、学校施設に不備があるなどと、デ夕ラメな記事を掲載しました。

朝日の広報室に抗議した後、執筆した記者から電話がありましたが、彼は謝るどころか、すり替えの詭弁を弄し続けました。私が訂正を要求すると、「あと迫い記事を害いたら、おたくの学校が恥の上塗りになる」とまで言われました。その後、対応が上司に代わり、朝日は私の言い分を載せることに同意しましたが、その記事は自己正当化を繰り広げるばかりで、訂正や反省の言葉はまったくなかった。

今回の慰安婦の検証記事とまったく同じですね。台湾出身の私が初めて日本を訪れたのは二十五歳の時、六○年安保の前年のことです。その頃の私はまだ、朝日をクオリティペーパーだと思い込んでいました。

早稲田大学文学部に留学した私は、当時騒がしかった学生運動を間近で見ることになりました。そうすると、学生たちを煽り立てている正体が朝日新聞だということがよくわかりました。

同時に朝日が熱心に行っていたのが、岸信介元首相を悪者にして疑めることでした。
2015/01/05(月) 12:59 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
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